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保守偽装の典型
野田首相 党代表辞任を表明
野田総理大臣は、16日午後11時20分から記者会見し「今回の衆議院選挙は民主党にとって大変厳しい結果になったが、国民の審判であり厳粛に重く受け止めたい。3年3か月の間、政府や民主党でとことん働いた同志や、将来を嘱望される有為な人材を数多く失い痛恨の極みだ。政治は結果責任であり、このような厳しい敗北に至った最大の責任は党の代表である私にある。その結果を重く受け止め、党の代表を辞任する」と述べました。NHKニュース(Web) 平成24年12月16日付記事http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121216/t10014225171000.htmlより、併せて読売新聞 平成24年12月17日朝刊 記事(切り抜き)紙面(4面)より資料として参照のため引用
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民主党代表を辞任
民主党大敗となった総選挙の結果を受け、野田首相が辞任を表明。26日召集とみられる特別国会までは首相を務めるが、同日、国会内での新たな首班指名選挙のもとで「野田首相」もそこで終了となる。
石原慎太郎氏(当時・東京都知事)が、首班指名を経て総理に就任(平成23年9月)した野田氏を「ようやく、まもとな人物が首相になった」と評されたが、しかし、その正体をとんでもない「偽装政治家」の一人と認定し、当ブログでは警戒を呼びかけていたことをご記憶のみなさまも少なくないことかと思う。
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保守偽装の典型的な一人
鳩山由紀夫氏(不出馬・引退)、菅直人氏(東京18区落選・比例当選)の後を受けて民主党代表に就任した野田氏だが、3人の中では「もっともまとも」な存在であるかに一部で評されていた。しかし、むしろ「判りやすかった」前2代の代表と比べれば「偽装性」が強く、最も「分かり難い」存在であった。
たとえば、安倍総裁(自民党)の目尻を決した追い込みによる「衆院解散」に救われた形となったが、もしも解散が先送りとなれば、その直前に閣議決定をなした内閣提出の「人権侵害救済法案」(2案)が、まさに、衆院法務委員会で審議入りする危機にあった。この事例をとっても偽装保守の典型と謂える。
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民主党の“毒政”払拭を
望ましくは選外に去っていただきたかった。そう拝考する一人である。次代のためにも、この悪法と、それを裏腹に幇助する偽装保守の徘徊を二度と許してはならず、野田氏の代表職(および首相職)の辞任(自動辞任)を歓迎する。
同時に、この悪法をはじめ、野田首相のもとで一部のメディアを巻き込みつつ極めて陰湿、且つ八百長紛いに進めてられていた「女性宮家」創出のための皇室典範改正案、民団ら外国籍者団体との約束にもとづく外国人参政権(永住外国人への地方参政権)付与法案の流れが、安倍総理の政権下で悉く廃案となることを願って止まない。安倍総裁と共に結束して進もう!
http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-1423.html
ビーレフェルトの陰謀(ビーレフェルトのいんぼう、ドイツ語: Bielefeldverschwörung、英語: Bielefeld Conspiracy)は、ドイツのインターネット利用者(特にネットニュース利用者)によって語り継がれているジョーク。ビーレフェルトは、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州にある人口33万人の都市である。ジョークの骨子は、「ビーレフェルトという都市は実在しない」ということ、「ビーレフェルトの存在を信じさせようとする巨大な陰謀がある」という点にある。1994年にはじめて登場したこの「陰謀論」は、単なる嘘や都市伝説というよりも一種の風刺であり、サイバーカルチャーとして定着している。
■ 「陰謀」のプロット
※以下は、ジョークとして語られる「陰謀」のプロットである。
ビーレフェルトという都市は実在しない。「やつら」(ドイツ語ではSIE、英語ではTHEY,THEM)は当局と手を結び、「ビーレフェルト」なる架空の都市があたかも実在するかのようなプロパガンダをおこなっているのである。
試みに、相手に3つの質問をしてみよう。
あなたは、ビーレフェルトから来た人を知っていますか?
あなたは、ビーレフェルトに行ったことがありますか?
あなたは、ビーレフェルトに行ったという人を知っていますか?
ほとんどの人は、3つの質問すべてに「いいえ」と答えるはずだ。もしも1つでも「はい」と答えた人物がいたら、その人物(あるいはその知人)は「やつら」の陰謀に加わっているのである。
■「信奉者」の行動様式
「陰謀論の信奉者」は、ビーレフェルトをネタとして、それにふさわしい振る舞いをする。ネットを監視している「やつら」の目を欺くために Bielefeld の一部を伏字にする(B*e*e*e*d, B**l*f*ld, Blfd など)のはその代表的な例である。BIではじまるビーレフェルトの自動車ナンバープレートや、ビーレフェルト大学の卒業証書を「偽造」とこき下ろしたり、ビーレフェルト関連のニュースを「やつらのプロパガンダ」と論評するのも、「お約束」のギャグ (Running gag) である。
■誕生と展開
1994年4月16日、キール大学 (University of Kiel) でコンピュータ科学を専攻する学生であったアヒム・ヘルト(Achim Held)が、ニュースグループ de.talk.bizarre にこの「陰謀論」を投稿したのが、ことのはじまりである[1]。「ビーレフェルトの陰謀」はドイツ語圏のインターネットコミュニティに広がり、現在も人気は衰えていない。
「陰謀」10周年を記念するZDFの番組取材を受けたヘルトは、この「神話」のはじまりがほんのジョークとして投稿されたものだと答えている。ヘルトによると、学生パーティーでニューエイジ雑誌の愛読者と話をしたことがきっかけで、このネタが生まれたのだという[2]。
このジョークがネット上でなぜここまでの人気を得たのかについては、互いに矛盾する諸説がある。ニュースグループの管理者と、ビーレフェルトを地盤とする掲示板 Z-Netz ユーザーとの間で文字コードのエンコードをめぐってフレーミングがあったことが、このジョークの拡大に影響したのだともいう。次節(#流行の要因)に掲げるようなビーレフェルトという都市自体の微妙な存在感もあいまって、ネットユーザーたちによってさまざまなストーリーが追加され、「陰謀論」は発展を見せることになる。
「ありもしない都市が存在するかのように信じさせる陰謀がいつ始まったのか、なぜ仕組まれたか」についてははっきりしたストーリーは定まっていない。CIAやモサッド、あるいはビーレフェルト大学 (Bielefeld University) に宇宙船を偽装させている宇宙人の仕業であろうとされている[3][4]。
2009年、ビーレフェルト大学(芸術学部も有する)の学生は、この「陰謀」を題材とした映画『ビーレフェルトの陰謀』(原題:Die Bielefeld Verschwörung)の製作を企画した。映画製作には大学や地元スポンサーからの出資を受けた。スタッフの大部分は学生と大学職員であり、プロの映画人では女優の Julia Kahl やカメラマンの Alexander Böke が参加している。脚本は Thomas Walden。2010年6月2日にビーレフェルトで公開された[5][6]。
■流行の要因
「ビーレフェルトの陰謀」の流行を支えたものとして、いくつかの要因が挙げられる。陰謀論の形を取って「陰謀論」そのものを風刺したジョークであり、陰謀論のばかげた論理を笑いものにしている点は要因の一つに挙げられる。
題材となったビーレフェルト市の「大都市なのにぱっとしない」微妙な存在感も、人気の要素である。ビーレフェルトはルール地方とベルリンの中間という国内交通上重要な位置にあり、ドイツの大動脈というべきアウトバーンA2や、高速列車ICEも走っている。また30万を超える人口を持つビーレフェルトは、中小都市の多いドイツでは比較的大きな都市であると言える(2010年の人口統計では全国19位)。しかし、アウトバーンは郊外を通過するだけであり、鉄道駅 (de:Bielefeld Hauptbahnhof) は市の中心部にあるものの、かつてはまるで仮設駅のような雰囲気であった(2007年に大規模な改修工事が行われたため事情は変わった)。人々はビーレフェルト市が大きな都市であることに気が付かないまま通過してしまう。
ビーレフェルトは第二次世界大戦で激しい爆撃を受けたために歴史的な町並みや建物も少なく、全国的に知られた観光地もない。また有力な企業や公共機関があるわけでもなく、ニュースに取り上げられることがあまりない。ビーレフェルトに特徴的なものを挙げるならば、標準的なドイツ語から隔たっている方言があるが、ビーレフェルト方言を話す人物と会ったとしても忘れてしまう。市に本拠を置くプロスポーツチームとしてはサッカーのアルミニア・ビーレフェルトがあるが、ブンデスリーガ一部昇格と降格を繰り返している(現在は3部に降格した)。これといった特徴がないビーレフェルトは、他の地域に住む多くのドイツ人にとっては印象に残らない。
市当局の反応や新たなインターネットサービスが、「陰謀論」に新しい題材を提供し続けている。
1999年、市政府は新聞に Bielefeld gibt es doch! (ビーレフェルトは存在する!)と題する広告を載せた。しかし、よりによって掲載日が4月1日であったために、「陰謀論」に新たなネタを提供してしまった。
Google マップではビーレフェルト都心部の衛星画像の解像度は長らく低いままであった。また、衛星画像と道路地図のハイブリッド表示は大きくずれていた。「ビーレフェルトの陰謀」に組み込まれたのは言うまでもない。衛星画像のデータは2006年10月に更新され、都心部も詳細に見ることができるようになった。
ビーレフェルト市政府は市のイメージアップのために広報活動をおこなっているが、市長のオフィスには実在を確かめる電話やEメールがしばしば寄せられるという[2]。
”ビーレフェルトの陰謀(ビーレフェルトのいんぼう、ドイツ語: Bielefeldverschwörung、英語: Bielefeld Conspiracy)は、ドイツのインターネット利用者(特にネットニュース利用者)によって語り継がれているジョーク。ビーレフェルトは、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州にある人口33万人の都市である。ジョークの骨子は、「ビーレフェルトという都市は実在しない」ということ、「ビーレフェルトの存在を信じさせようとする巨大な陰謀がある」という点にある。1994年にはじめて登場したこの「陰謀論」は、単なる嘘や都市伝説というよりも一種の風刺であり、サイバーカルチャーとして定着している。
■ 「陰謀」のプロット
※以下は、ジョークとして語られる「陰謀」のプロットである。
ビーレフェルトという都市は実在しない。「やつら」(ドイツ語ではSIE、英語ではTHEY,THEM)は当局と手を結び、「ビーレフェルト」なる架空の都市があたかも実在するかのようなプロパガンダをおこなっているのである。
試みに、相手に3つの質問をしてみよう。
あなたは、ビーレフェルトから来た人を知っていますか?
あなたは、ビーレフェルトに行ったことがありますか?
あなたは、ビーレフェルトに行ったという人を知っていますか?
ほとんどの人は、3つの質問すべてに「いいえ」と答えるはずだ。もしも1つでも「はい」と答えた人物がいたら、その人物(あるいはその知人)は「やつら」の陰謀に加わっているのである。
■「信奉者」の行動様式
「陰謀論の信奉者」は、ビーレフェルトをネタとして、それにふさわしい振る舞いをする。ネットを監視している「やつら」の目を欺くために Bielefeld の一部を伏字にする(B*e*e*e*d, B**l*f*ld, Blfd など)のはその代表的な例である。BIではじまるビーレフェルトの自動車ナンバープレートや、ビーレフェルト大学の卒業証書を「偽造」とこき下ろしたり、ビーレフェルト関連のニュースを「やつらのプロパガンダ」と論評するのも、「お約束」のギャグ (Running gag) である。
■誕生と展開
1994年4月16日、キール大学 (University of Kiel) でコンピュータ科学を専攻する学生であったアヒム・ヘルト(Achim Held)が、ニュースグループ de.talk.bizarre にこの「陰謀論」を投稿したのが、ことのはじまりである[1]。「ビーレフェルトの陰謀」はドイツ語圏のインターネットコミュニティに広がり、現在も人気は衰えていない。
「陰謀」10周年を記念するZDFの番組取材を受けたヘルトは、この「神話」のはじまりがほんのジョークとして投稿されたものだと答えている。ヘルトによると、学生パーティーでニューエイジ雑誌の愛読者と話をしたことがきっかけで、このネタが生まれたのだという[2]。
このジョークがネット上でなぜここまでの人気を得たのかについては、互いに矛盾する諸説がある。ニュースグループの管理者と、ビーレフェルトを地盤とする掲示板 Z-Netz ユーザーとの間で文字コードのエンコードをめぐってフレーミングがあったことが、このジョークの拡大に影響したのだともいう。次節(#流行の要因)に掲げるようなビーレフェルトという都市自体の微妙な存在感もあいまって、ネットユーザーたちによってさまざまなストーリーが追加され、「陰謀論」は発展を見せることになる。
「ありもしない都市が存在するかのように信じさせる陰謀がいつ始まったのか、なぜ仕組まれたか」についてははっきりしたストーリーは定まっていない。CIAやモサッド、あるいはビーレフェルト大学 (Bielefeld University) に宇宙船を偽装させている宇宙人の仕業であろうとされている[3][4]。
2009年、ビーレフェルト大学(芸術学部も有する)の学生は、この「陰謀」を題材とした映画『ビーレフェルトの陰謀』(原題:Die Bielefeld Verschwörung)の製作を企画した。映画製作には大学や地元スポンサーからの出資を受けた。スタッフの大部分は学生と大学職員であり、プロの映画人では女優の Julia Kahl やカメラマンの Alexander Böke が参加している。脚本は Thomas Walden。2010年6月2日にビーレフェルトで公開された[5][6]。
■流行の要因
「ビーレフェルトの陰謀」の流行を支えたものとして、いくつかの要因が挙げられる。陰謀論の形を取って「陰謀論」そのものを風刺したジョークであり、陰謀論のばかげた論理を笑いものにしている点は要因の一つに挙げられる。
題材となったビーレフェルト市の「大都市なのにぱっとしない」微妙な存在感も、人気の要素である。ビーレフェルトはルール地方とベルリンの中間という国内交通上重要な位置にあり、ドイツの大動脈というべきアウトバーンA2や、高速列車ICEも走っている。また30万を超える人口を持つビーレフェルトは、中小都市の多いドイツでは比較的大きな都市であると言える(2010年の人口統計では全国19位)。しかし、アウトバーンは郊外を通過するだけであり、鉄道駅 (de:Bielefeld Hauptbahnhof) は市の中心部にあるものの、かつてはまるで仮設駅のような雰囲気であった(2007年に大規模な改修工事が行われたため事情は変わった)。人々はビーレフェルト市が大きな都市であることに気が付かないまま通過してしまう。
ビーレフェルトは第二次世界大戦で激しい爆撃を受けたために歴史的な町並みや建物も少なく、全国的に知られた観光地もない。また有力な企業や公共機関があるわけでもなく、ニュースに取り上げられることがあまりない。ビーレフェルトに特徴的なものを挙げるならば、標準的なドイツ語から隔たっている方言があるが、ビーレフェルト方言を話す人物と会ったとしても忘れてしまう。市に本拠を置くプロスポーツチームとしてはサッカーのアルミニア・ビーレフェルトがあるが、ブンデスリーガ一部昇格と降格を繰り返している(現在は3部に降格した)。これといった特徴がないビーレフェルトは、他の地域に住む多くのドイツ人にとっては印象に残らない。
市当局の反応や新たなインターネットサービスが、「陰謀論」に新しい題材を提供し続けている。
1999年、市政府は新聞に Bielefeld gibt es doch! (ビーレフェルトは存在する!)と題する広告を載せた。しかし、よりによって掲載日が4月1日であったために、「陰謀論」に新たなネタを提供してしまった。
Google マップではビーレフェルト都心部の衛星画像の解像度は長らく低いままであった。また、衛星画像と道路地図のハイブリッド表示は大きくずれていた。「ビーレフェルトの陰謀」に組み込まれたのは言うまでもない。衛星画像のデータは2006年10月に更新され、都心部も詳細に見ることができるようになった。
ビーレフェルト市政府は市のイメージアップのために広報活動をおこなっているが、市長のオフィスには実在を確かめる電話やEメールがしばしば寄せられるという[2]。
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