271 :VIP774 :2007/07/25(水) 12:39:22.99 ID:zgmQ+sOnO
CO2によって起こっているとされる温暖化はほって置いたら無くなる
CO2の増加が問題となっているが、
アマゾンとか密林などではCO2不足で光合成がフル活動していない。
- 日刊スレッドガイド : 知ると怖くなってしまう雑学 (via mcsgsym, 115) (via katoyuu) (via tatsukii)
271 :VIP774 :2007/07/25(水) 12:39:22.99 ID:zgmQ+sOnO
今も昔も、日本のユーザ企業が業務システムを内製するには「人員が足りない」という現実がある。その不足を「かき集められた外部要員」によって補う派遣屋の役回りを、これまではSIerが果たしてきた。ところが彼らの多くは派遣屋として稼ぐ間に開発スキルが空洞化してしまった。データモデルのような基本図面さえ要件にしたがって書き起こせなかったりする。彼らにまかせては、外部要員を山ほど投入してもうまくいかない。
では、ユーザ企業が内製することは不可能なのか。道はある。人員の不足は「かき集められた外部要員」ではなく「まともなスキルとツール」で補完できる。そのための支援をITベンダーが提供すればよい。ようするに、ITベンダーが提供するサービスを「量からふつうの質」へ転換させたらいいだけの話だ。なんとささやかであろう。しつこいが「せめて結婚相手はお箸をきちんと使える人がいい」と願うくらいにささやかである。
”下校中と思われる小2くらいの男の子が塀の影に隠れていて、後から歩いて来る女の子を驚かそうと待ち伏せしている様子なんだけど西日に当たって影がぜんぜん隠れてない 「ぼうず!影!かげ!」て思って見てたら女の子もそれに気づいて急に立ち止まり、帽子を抜いで髪どめを外して軽く髪を整えて…
…男の子が隠れている塀のとこまで歩いて行って、案の定、男の子が「ワッ!」とか言って出てきて、そしたら女の子が「キャッ!」とか言ってんの ほんで「もうーヤダー!」みたいなこと言ってんの なんなん?これが女子力なん?見た目は子ども、中身は女なん? こわいわー 女こわいわー
「○○してはならない」
何度も言うことですが、これは新たな条件付けになるので気をつけて。
たとえ、私が「○○してはならない!」と言ったとしてもですw
「してはならないことなどない」
まずこれを大前提においてください。
私達が何かを習うとき、つまりある技術を習得するとき、
「これは間違いだから止めておこう」
というアプローチがありますよね。
その間違いを参考に「それをしないでおこう」という取り組み方です。
「そのアプローチはしてはいけない!」
とは、私は言いませんよw
ただ、そのアプローチの裏には必ず正解があるはずです。
つまりもっと良い方法や効果的な方法が、です。正解ありきの間違いなわけです。
それとの対比という観点で、初めて「これは良くないな」という見方が生まれるわけです。
私達はついつい、
「『してはいけないこと』をやらなければ正解に行き着くだろう」
と考えてしまいますが、これではなかなか正解に行き着きません。
なぜかというと、発想の根本が「してはいけない」だからです。
つまりは不足の観点から考えてしまっているのです。
このアプローチを突き詰めると、人は何も出来なくなってしまいます。
しかし私達はついついこのアプローチを取りたがります。
なぜかというと、小さい頃から親や先生から
「○○してはいけません!」と言われ通しだったからです(爆)。
「左右を確認せずに道路を横断してはいけません!」
確かにこれは正しいです。
危険を避けるという観点では当たり前のことです。
しかしこれを突き詰めていくと「危険は避けなさい」ということになり、
究極的には「道路を横断してはいけない」が正解になってしまいます。
横断しなければ、車にはねられる可能性は限りなくゼロに近づくからです。
このアプローチでは「危険を避ける」ことが目的になっているのです。
もし車がどこにも見あたらなければ、横断しても車にはねられる可能性はない。
道の向こう側のコンビニに、お目当てのお菓子を買いに行くことだって出来るよ。
私がアプローチとしてお勧めするのは、
「安全を見つけて横断しよう」です。
「横断するために」左右を確認するのです。
時には危険な横断をしなきゃならないような場面もあるでしょう。
(「横断しない」という選択肢も、もちろんあります)
その時でも、意識の焦点が「安全」に向いていれば、あなたは安全です。
意識の焦点を「危険」に向けてはなりません!
…あっ、オシムって言っちゃったね(爆)。
それはともかく、
「してはならないこと」ではなく、「したらいいこと」
「したら楽しいこと」「出来たら嬉しいこと」という観点で考えてください。
昨日、とある刑務所の外観を撮影しにいったのですが(もちろん敷地外から) カメラを構えると守衛が飛び出してきました。
「許可はとってあるんですか?」 「ありません。公共の建物を撮影するのに許可がいるんですか?」 (許可はとってませんが、管轄する官庁に事前に確認はしていました)
すると、この守衛さんは面白いことを言い出しました。 「公共の建物ではありません」 「公共の建物ではないんですか?」 「違います」 「じゃあ、なんなんですか?」 「刑務所です」 「刑務所は公共の建物ではないんですか?」 「違います」
?????
僕は私営の刑務所があるなんて知りませんでした。。。。
結局、上司らしき人が出てきて無事撮影することはできましたが こんな言葉を思い出しました。
「アメリカでは禁止されていること以外、何をやってもいい。 日本では許可されていること以外、何もしてはいけない」
まさに規制大国、許認可大国日本です。
何でもかんでも規制をかけて、許認可を必要とする。 許認可というのは役人の権限です。
権限には利権が付いて回ります。 権限を拡大すればそれだけ利権も拡大されます。
日本の役所は上から下まですべて、この利権まみれになっているということではないでしょうか?だからどんな些細なことも許可や認可が必要となる。
何も生み出してないのに、この権限だけで 偉そうにしているってすごいです。
”