“昭和二十四年(一九四九年)に起きた八百屋お七の幽霊事件は、幽霊が出たといいながら、誰もその姿を見ていない。足音が響いたというだけであり、これが事件の最大の特徴だった。
しかも、当初は工場の職員全員が幽霊の足音を聞いたかのように報じられたが、実は「下駄の音がする」と言って騒いだのは、年齢が四十代以上の職人に限られていた。同じ場所にいた若い人たちは、何らかの音は耳にしていても、それが”幽霊の足音”とは思っていなかった。年代によって音の解釈が分かれていたのである。
(中略)
しかし、この問題はむしろ民族学者の今野圓輔が『怪談 民族学の立場から』で指摘したように、「いかにも江戸期から歌舞伎狂言などで培養された人たちらしい幻聴」という解釈の方が当たっているように思われる。当時の四十代以上の人というのは、要するに明治生まれの人である。戦前の怪談ブームの洗礼を受けた人たちが、頭の中で、牡丹灯籠のお露と八百屋お七を合体させていたのである。
当時の日本人は、現代の私たちより、音から想像を広げる能力に長けていた。まだテレビのない時代であり、映画は流行していたにせよ、今日のごとく映像に毒される環境は身の回りにはなかった。むしろラジオの影響を考えなければいけないのである。
昭和二十年代以前の日本人は、戦争が始まったのも、終わったのも、ラジオで知った。音声だけの放送が今日とは比較にならない有力なメディアであって、そのラジオで怪談ドラマも放送していたのである。そのせいなのか、戦前の怪談には、血みどろの幽霊があまり出てこない。戦後のテレビ時代になると、幽霊も天然色になるのである。(pp. 215- 216)”
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しかも、当初は工場の職員全員が幽霊の足音を聞いたかのように報じられたが、実は「下駄の音がする」と言って騒いだのは、年齢が四十代以上の職人に限られていた。同じ場所にいた若い人たちは、何らかの音は耳にしていても、それが”幽霊の足音”とは思っていなかった。年代によって音の解釈が分かれていたのである。
(中略)
しかし、この問題はむしろ民族学者の今野圓輔が『怪談 民族学の立場から』で指摘したように、「いかにも江戸期から歌舞伎狂言などで培養された人たちらしい幻聴」という解釈の方が当たっているように思われる。当時の四十代以上の人というのは、要するに明治生まれの人である。戦前の怪談ブームの洗礼を受けた人たちが、頭の中で、牡丹灯籠のお露と八百屋お七を合体させていたのである。
当時の日本人は、現代の私たちより、音から想像を広げる能力に長けていた。まだテレビのない時代であり、映画は流行していたにせよ、今日のごとく映像に毒される環境は身の回りにはなかった。むしろラジオの影響を考えなければいけないのである。
昭和二十年代以前の日本人は、戦争が始まったのも、終わったのも、ラジオで知った。音声だけの放送が今日とは比較にならない有力なメディアであって、そのラジオで怪談ドラマも放送していたのである。そのせいなのか、戦前の怪談には、血みどろの幽霊があまり出てこない。戦後のテレビ時代になると、幽霊も天然色になるのである。(pp. 215- 216)”
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『日本の幽霊事件』より。
心霊体験と文化的バックグランドの関係性がよくわかる。
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