“
- 誰も代表できていない - dongfang99の日記 (via yellowblog)
たとえば、いま日本の世論で、比較的関心の高いテーマは年金であるが、テーマの性質上は必然的に「大きな政府」を志向するはずである。つまり、年金財政が厳しくなっているとしたら、年金を負担している現役世代の人口が減少して雇用が不安定になっているからであり、だから少子化対策として家族への公的福祉が、雇用の安定化のためには政府による職業訓練や雇用創出の拡充が、さらには雇用の安定化の前提として教育の公的保障の充実が不可欠になる、という風に議論が展開しなければならない。これらの政策を前提とした増税は、たとえ消費税であっても、間違いなく社会全体の負担を緩和させることになる。自分の知る限り、真面目に社会保障の問題を考えている人たちは、多少なりとも似たような結論になっている*1。
ところが、今の年金世論の政治的な帰結はそうなっておらず、むしろ「小さな政府」を志向するものになっている。つまり、官僚と公務員が途方もない無駄遣いをしているとか、そして「経済成長」の時代でもないのに大盤振る舞いの予算を組んでいるとか、そういう問題が自分たちの年金を不安に陥れているという理解の下で、公共部門の雇用を減らし、雇用関連の事業を仕分けし、研究・教育の予算を減らすことで、年金財政を埋め合わせようとする政策が支持されている。言うまでもなく、これは「タコが自分の足を食う」という以外に表現のしようのないものであり、かえって「年金破綻」を現実にしてしまいかねないような政策である。
”- 誰も代表できていない - dongfang99の日記 (via yellowblog)