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Channel: Peckori Detuned.
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"「富国強兵」を唯一とも云える国是として発足した明治新政府は、明治三年(1870)大阪城の東および北側約10万坪(正確には明治31年度の段階で104,407坪。敗戦時には工場敷地だけで凡そ12万坪あった)..."

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“「富国強兵」を唯一とも云える国是として発足した明治新政府は、明治三年(1870)大阪城の東および北側約10万坪(正確には明治31年度の段階で104,407坪。敗戦時には工場敷地だけで凡そ12万坪あった)の敷地に、東洋一の規模を誇る「大阪砲兵工廠」と呼ばれる兵器工場を建設した。以後、75年、昭和20年8月14日の大阪大空襲で壊滅するまで、この「工廠」は兵器・弾薬を無尽蔵と思われる程、生産し続けた。

  明治期の資料に見える「大阪砲兵工廠」

ただの廃墟に過ぎなかった「工廠跡地」は、講和条約の発効に伴い徐々に「戦後」に向かいつつあった経済状況の中で、ある 人たちにとっては「宝の山」として注目されることになる。其処には夥しい「鉄」の塊りが眠っており、それは、見方によれば、正に取り放題の「おいしい」果 実だったのだ。誰言うともなく、人々が跡地の周辺に集り、幾つかのグループに分かれて、夜な夜な「仕事」を競い合った。開高が1958年に取材した人々の 中には、その当事者も含まれていた。



- 「フクスケ」と開高健、三文オペラ異聞 (via kikuzu)

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