“「たまカフェ」を「待合室としてもお気軽にご利用ください!」と言って開放しつつも、何かを買ってくれない人には、どこかよそよそしい場所になっているようだ。
観光客には居心地の良い場所かもしれないが、それまで当たり前のように駅を利用していた地元民にとっては、かえって親しみにくくなってしまったのかもしれない。
そういえば、改修前はイスに座って地元のお年寄りが話をしている光景を見かけたが
新築後はみられなくなった。
印象に残ったのは、地元のお年寄りが営業中のたまカフェのテーブルで
一人、持ってきた飲み物を飲みつつ、休んでいた光景だ。
表情も変えず、前を向いたまま、動きは少なく、止まっているかのような動作のお年寄りが
カフェでは店員や観光客に無視されながら、ゆっくり何かを飲んでいたのだ。
きっと、駅しか行き場がないのだろう。
その姿は、新しいカフェの内装とのギャップのせいか、どこか哀れにみえた。
駅の居心地の悪さを感じ取った地元民は、駅に寄り付かなくなったのだろう。
地元の人の居場所が、一つ失われた、と言うのは言い過ぎだろうか。
そして、観光とイメージ作りで営業していく方針を取ったがために、今度は地元の人からの愛着が失われていくのだろうか。
商売人たちは、たま駅長等によって作られた経済効果に乗りかかって、巧みに商売していくのだろうか。
今まであらゆる観光地で起こってきた、「地元民の観光地離れ」の現象は、現代になっても相変わらず起こり続けているようだ。
駅舎を新しくすること自体は悪いことではない。
イメージを作り出して、それを表に出して集客を狙うことも悪いことではない。
しかし、地元の人が居ることができる余地は、残すべきではないかと感じるのである。”
- 貴志駅ビフォーアフター-たま駅舎は何を得て何を失ったか 雪ノ下アゲインスターズ (via petapeta)
観光客には居心地の良い場所かもしれないが、それまで当たり前のように駅を利用していた地元民にとっては、かえって親しみにくくなってしまったのかもしれない。
そういえば、改修前はイスに座って地元のお年寄りが話をしている光景を見かけたが
新築後はみられなくなった。
印象に残ったのは、地元のお年寄りが営業中のたまカフェのテーブルで
一人、持ってきた飲み物を飲みつつ、休んでいた光景だ。
表情も変えず、前を向いたまま、動きは少なく、止まっているかのような動作のお年寄りが
カフェでは店員や観光客に無視されながら、ゆっくり何かを飲んでいたのだ。
きっと、駅しか行き場がないのだろう。
その姿は、新しいカフェの内装とのギャップのせいか、どこか哀れにみえた。
駅の居心地の悪さを感じ取った地元民は、駅に寄り付かなくなったのだろう。
地元の人の居場所が、一つ失われた、と言うのは言い過ぎだろうか。
そして、観光とイメージ作りで営業していく方針を取ったがために、今度は地元の人からの愛着が失われていくのだろうか。
商売人たちは、たま駅長等によって作られた経済効果に乗りかかって、巧みに商売していくのだろうか。
今まであらゆる観光地で起こってきた、「地元民の観光地離れ」の現象は、現代になっても相変わらず起こり続けているようだ。
駅舎を新しくすること自体は悪いことではない。
イメージを作り出して、それを表に出して集客を狙うことも悪いことではない。
しかし、地元の人が居ることができる余地は、残すべきではないかと感じるのである。”
- 貴志駅ビフォーアフター-たま駅舎は何を得て何を失ったか 雪ノ下アゲインスターズ (via petapeta)