学会が外に向けて「この分野の研究への一層の支援を望む」とかその手の分かり切った、結果として毒にも薬にもならないような、決議をすることは良くある。でも内のメンバーに対して統制するような決議は普通ではない。(私が知っているのは理学系の話だけど。)
で、
美味しんぼの木造禁止を考える。日本の木質構造の今後:ホームインスペクター大下達哉の「建物調査(インスペクション)日記」:
ここには日本建築学会が1959年に木造の研究発表を禁じることによって実質木造の研究を禁じたこと(この理解でいいのかな?)が書いてある。そし てそれによって阪神淡路震災くらいまでのあいだ木造建築の研究は非常に遅れてしまったらしい。私の理解では結果として木造建築の耐震安全性や防火性や断熱 性などの向上が妨げられ、目に見える形でなくとも知らず知らず人死にだって出ている。上の記事を通した孫引きだと、この決議は:
・ 建築学会の大会開催中に緊急集会が開かれ、約500名の会員が出席し、満場一致で決議
・ 緊急集会を開いての大会決議というのは、建築学会の歴史の上でもかなり異常なもの
おそらくは「木造は危険であるからなくすべき」という良心だったのだろうけど、木造が経済的であるという現実を前に結果としてはかえって人死にを出している訳で。
で、決議というのは最初からおかしいと思うわけです。学会というのは、普通の人のイメージとは違うかも知れないけど、普段は単なる情報交換会にすぎないわけですよ。誰かを追放したり、なにが正しいかを決めたりするわけではなく。
学問において正しいことが決まるというのは学者同士が一人一人説得していって、いつの間にかその意見が圧倒的多数になったときに「これが正しい(だ
ろう)」となるわけで、決議で正しいことが決まるわけではない。また何を研究するべきで何を研究するべきではないとか決める機能も普通は学会にはないし、
あってはいけない。それぞれの研究者が選ぶわけで。
間違ったことを主張したり変な研究をしたってマンガみたいに「学会を追放」されたりなんかしない。ただ何となく皆に相手にされなくなるだけ。
それが普段の学会の姿だから、学会が決議をするなんて時点でなにかおかしなpoliticsが起こっていると見なしてよいと私は思う。良心が理由であったとしても。というか人間が一番大きな間違いをするのは自分が良心に従っていると思いこんでいる時なわけで。
”- 学会が何かを決議したらすでに異常事態: 最尤日記 (via ginzuna)