“最近はよく再放送のアニメ「美味しんぼ」を観ている。
富井副部長のウザさとか、快楽亭ブラックのインチキ臭いしゃべりとか、おめかしした栗田さん(頭にバカでかいリボンをつけていた)など見所は尽きないのだが、まあとにかくどの話にも共通するのは「美味い食べ物があらゆる揉め事を解決する」ということだ。
世の中の揉め事はすべて不味い食べ物が発端であり、それを解決するのは美味い食べ物。
「美味しんぼ」の物語は、多かれ少なかれそういう原理が貫かれている。
家庭の不和も食い物のせいだし、子供がグレるのも、スポーツ選手の不調も、会社間のトラブルも食い物のせいだ。
そして美味しい食べ物はすべてを解決する。
ふと漫画「孤独のグルメ」における、あるシーンを思い出す。
主人公のゴローが、定食屋に入ってメシを食べるが、その眼前で店主が店員(中国人)に怒鳴り散らしている。
ゴローは店主に向かって「あなたのおかげでメシが美味くない(食えない)」的なことを言い、激昂した店主はゴローに殴りかかるが、逆にゴローは謎の体術で店主の関節を極める。
そこへ、さっきまで怒られていた中国人が「それ以上いけない」とゴローを制止する。
うろ覚えだが、そんなようなシーンがあった。
要するに、いくら美味しかろうが食べ物はなにも解決しない。
食べ物を味わう以前の問題というやつが、そこには厳然と存在する。
食ったメシは美味くても、ただそれだけ。
仕事の調子が上向くわけでもないし、恋人が戻ってくるわけでもない。
そういう食べ物の無力さを描いているという点で「美味しんぼ」とは正反対だなと思う。”
-
富井副部長のウザさとか、快楽亭ブラックのインチキ臭いしゃべりとか、おめかしした栗田さん(頭にバカでかいリボンをつけていた)など見所は尽きないのだが、まあとにかくどの話にも共通するのは「美味い食べ物があらゆる揉め事を解決する」ということだ。
世の中の揉め事はすべて不味い食べ物が発端であり、それを解決するのは美味い食べ物。
「美味しんぼ」の物語は、多かれ少なかれそういう原理が貫かれている。
家庭の不和も食い物のせいだし、子供がグレるのも、スポーツ選手の不調も、会社間のトラブルも食い物のせいだ。
そして美味しい食べ物はすべてを解決する。
ふと漫画「孤独のグルメ」における、あるシーンを思い出す。
主人公のゴローが、定食屋に入ってメシを食べるが、その眼前で店主が店員(中国人)に怒鳴り散らしている。
ゴローは店主に向かって「あなたのおかげでメシが美味くない(食えない)」的なことを言い、激昂した店主はゴローに殴りかかるが、逆にゴローは謎の体術で店主の関節を極める。
そこへ、さっきまで怒られていた中国人が「それ以上いけない」とゴローを制止する。
うろ覚えだが、そんなようなシーンがあった。
要するに、いくら美味しかろうが食べ物はなにも解決しない。
食べ物を味わう以前の問題というやつが、そこには厳然と存在する。
食ったメシは美味くても、ただそれだけ。
仕事の調子が上向くわけでもないし、恋人が戻ってくるわけでもない。
そういう食べ物の無力さを描いているという点で「美味しんぼ」とは正反対だなと思う。”
-
食べ物の力について - randamHEXA (via yuria)
結構昔に私と友人数名はこれと逆の発想に基づいた分析を話し合ったことがある。美味しんぼは「世の中の揉め事はすべて不味い食べ物が発端であり、それを解決するのは美味い食べ物」というパターンでできてるが、この「食べ物」を「ペットの飼い方」に変えると獣医ドリトルになるし、「紳士服」に変えると王様の仕立て屋になる。我々はこのスタイルを様々なジャンルの漫画に応用可能な普遍的パターンと見なし、「矯正マンガ」と名づけた。そして白状すると、私はこのスタイルの漫画が、どれもこれも大好きなのだ。
(via raurublock)