- Twitter / tmsowacl (via kazukij)
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Tao Okamoto by Anders Edström for AnOther F/W 2009
*昔の子供
・カエルに爆薬仕込んで爆破
・猫を洗濯機で回す
・蛇を振り回して叩きつける
・オタマジャクシをフライパンで焼いて踊らせる
・トンボの羽をむしる
・ネズミに点火して鬼ごっこ
大人「元気があってよろしい」
*現代の子供
・ゲーム
大人「残虐なゲームは規制すべき」
2012年12月7日(金)
党の中に党が存在 !?
日本未来の党
「生活」は解党せず献金も
比例代表名簿順位の党内調整が遅れ、中央選管への届け出で混乱が際立った「日本未来の党」―。嘉田由紀子代表は「1週間前に生まれた政党で」(4日、NHK番組)などと弁解しました。
しかし、「生まれて間もない」では済まない、政党としてのあり方が問われる状況です。
選挙実務を含め「未来」の事務は「国民の生活が第一」が“代行”しており、「生活」は「未来」に合流したが解党はしていないとしています。政治資金規正法に関する政党としての届け出にも変更はなく、「未来」と「生活」がそれぞれ企業・団体献金を受けられる状況が続いています。党の中に党があるという不可思議な状態です。
他方、「みどりの風」は、「未来」への衆院候補の流出で、5日になって「政党ではなくなった」と総務省に届け出ました。
「未来」の近畿比例ブロックに出馬が決まった福田衣里子、東京16区の初鹿明博、神奈川7区の山崎誠の3候補は、11月16日の衆院解散を前後して相次いで民主党を離党して「みどりの風」に合流したばかり。それが11月28日に「未来」が結党されると「未来」からの出馬を表明。「みどりの風」が解党するわけでもないまま、「未来」への移行を表明したのです。
「選挙が終われば(3人は)戻る」(谷岡郁子共同代表)と報じられましたが、「有権者に対する欺瞞(ぎまん)」と批判を受け、福田氏も3日、「技術的には可能だが戻るつもりはない」とのべました。
しかし、極めて短期間に新政党を次々と渡り歩くこと自体、「選挙目当て」以外に説明できず、有権者置き去りです。
一方、「減税日本」は「維新」との合流を目指しましたが、橋下徹大阪市長らに拒絶されると、亀井静香元国民新党代表、山田正彦元農水相らと「新党」を結党(11月22日)。それも1週間で「未来」に合流しました。
阿部知子前社民党政審会長も「未来」に合流。しかし、「自主憲法制定」論の亀井静香氏や集団的自衛権容認の小沢一郎氏らとの連携は、野合との批判を免れません。
”ぼくが日本で最も驚いたことのひとつはマスメディアの腐敗のひどさだった。
クレジットカードすらつくれない貧しい個人に対する金融サービスであるマイクロクレジットを考案してノーベル平和賞を受賞したバングラデシュ人のムハマド・ユヌスが日本にやってきたとき、ぼくは日本にいた。
本国ではcontroversialだが、世界では一般に受け容れられるようになった、この貧困に苦しむ人間達のための巧妙な金融システムをつくりあげた偉大なひとの講演と質疑応答を聴きに、ぼくはフランス人やエチオピア人たち、あるいは当のバングラデシュ人たちと一緒にでかけていった。
こみあげてくる敬意のために声が上ずっているようなアメリカ人の記者や、ソーシャルビジネスという概念そのものがうちに孕んでいる本質的な矛盾に対しての疑念についてイギリス人の記者がかなり執拗に質問したあと、日本人の記者が立ったが、このひとは、少し酔っているようにも見えた。
質問は「アメリカのイラク戦争をどうおもいますか?」
という頓珍漢もいいところの質問で、当惑と怒りの感情で明然と顔をそむける外国人記者たちや、顔を真っ赤にして記者をにらみつけながら顔をかぶりをふっている見るからに上流階級出身のイギリス人のおばちゃん、…満場がどよめくぐらい酷い質問だった。
一瞬で、やや高い、良い種類の緊張があった会場の空気がこわれて腐っていった。
この日本を代表する新聞社の記者のひとは、さすがに会場の空気を察したのでしょう、
「やべー、ちょっとやばかったな、へっへっへ」というようなひとりごとを言いながらぼくの後ろを通っていったが、そのときの腰を屈めて、いやちょっと洒落っ気をだしすぎちゃったよ、ガイジンさんたちはシャレがわからないからまいった、まいった、と同僚らしい人に述べた、その言葉付きの卑しさをいまでも身震いするような気持ちで思い出す。
その酷い質疑がきっかけで、日本のマスメディアについていろいろ調べてみたが、この特別に選良意識が強い人間で出来ている職業集団が、日本の最も深刻な病巣であることに気が付くまで、あまり時間がかからなかった。そのときに調べたことは、そのうち気が向いたときにまとめて誌そうと思うので、ここでは書かないが、問題の根源は日本ではマスメディアのなかで「ジャーナリスト」と称するようになることは、上級公務員、伝統的大企業、学問研究者、という「試験の成績が良い人間」が行くことになっている架空なエスタブリッシュメントの一部にくいこむ、ということで、そうすると彼または彼女のうちなるジャーナリズムは自然のなりゆきとして死んでしまうが、それは当然のこととされていて、いわばジャーナリストになるためにはジャーナリズムを捨てることが条件である、という倒錯した世界が出来てしまっていることである。
実際、ぼくが紹介してもらった新聞者のひとびとは「優等生」という形容がもっとも相応しいひとたちだった。
たとえば「番記者」という制度がある。
首相なら首相にくっついて社名と自分の名前をおぼえてもらうことが初めの仕事である。
一緒に麻雀の卓を囲んで、一流レストランで毎度毎度夕ご飯を奢ってもらって、さらに親しくなればゴルフを一緒にまわったりもする。
他社がまだしらない「総理の意向」をそっと洩らしてもらえるようになれば、自分の立身も保証されたのと同じである。