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- 韓国の自国民120万人虐殺事件 「保導連盟事件」|本当の日本の歴史: 2010-09-02 22:00:00 (via nandato) (via tetsuharu)
保導連盟事件とは、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受け、李承晩大統領の命令によって韓国軍や韓国警察が共産主義からの転向者や、その家族を再教育する為の統制組織「国民保導連盟」の加盟者や、収監中の政治犯や民間人など、120万人が虐殺された事件です。
朝鮮戦争勃発後、北朝鮮が侵攻し、ソウルに迫って来ました。6月27日、李承晩大統領は保導連盟員や、南朝鮮労働党関係者を処刑するよう命令し、同日中にソウルを脱出、韓国軍、警察は釜山にまで後退する一方で、保導連盟に登録していた韓国人を危険分子と見なし、大田刑務所などで大虐殺を行いました。
北朝鮮軍が侵攻していない非戦闘地域の釜山、馬山、済州の刑務所などでも韓国軍や韓国警察により市民や囚人達が、虐殺されました。済州では、済州島四・三事件による虐殺も行われました。そして、晋州刑務所に収監されていた民間人を馬山の廃坑に連行して虐殺し、韓国中部の忠清北道清州市、清原郡でも虐殺が行われ、清原郡での犠牲者は、7000人に上るとされています。
韓国政府の真実・和解の為の過去史整理委員会は、 朝鮮戦争の初期に韓国政府によって子供を含む、10万人以上の人々を殺害し、排水溝や炭鉱や海に遺棄した事を確認しています。
公開されたアメリカ軍の機密書類には、アメリカ軍将校の立会いと虐殺の承認などの詳細が記録されており、イギリス人やオーストラリア人の目撃もあります。アメリカ軍少佐はワシントンに虐殺の写真を報告していますが、半世紀の間隠蔽され続けてきました。
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