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"(1)1番目の記事 堺市の観光案内板に韓国のことを書き込めと、民団が要求書を提出。 堺市議会の会派別構成を見たら、朝鮮左翼政党に完全に乗っ取られている。このまま放置したら、民団が韓国史観に基づき作文した..."

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(1)1番目の記事
堺市の観光案内板に韓国のことを書き込めと、民団が要求書を提出。
堺市議会の会派別構成を見たら、朝鮮左翼政党に完全に乗っ取られている。このまま放置したら、民団が韓国史観に基づき作文した文章が、そのままの形で採用されそう。

(2)2番目の記事
「朝鮮半島内に残る日本の痕跡を消すために韓国人が如何に努力しているか」を示す格好の事例。それだけではない。セメントを塗りたくった汚い物を日本人観光客に見せてカネを取ろうという魂胆。ガイジンに汚い物を見せて何が楽しいかという配慮・遠慮は皆無。

ところが在日韓国人は、堺市に日本の税金を使って「韓国の看板、石碑」をあちこちに設置させようとしている。私が気付いた範囲でも、同様の動きを民団、総連が積極的に日本各地で展開している。

(3)日本の役所の仕事は、日本の立場に立った案内板を設置することです。韓国の歴史観に基づく説明は、ガイドブックを発行する韓国の民間出版社にやらせればいい。民団の提案に基づく町並みを堺市に作ることが正しいはずがありません。

お暇な方は「日本の役所が外国の政治団体の言いなりになるな」「日本の役所は日本の歴史を広報しなさい」といった意見を↓下記に送って下さい。
堺市役所のご意見受付


韓半島ゆかりの史跡に案内板を 民団堺、市に要望書

www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=3887&corner=2
民団新聞2010-08-15

 【大阪】民団堺支部(呉時宗支団長)は7月13日、多民族・多文化共生と民族教育の推進に関する10年度要望書を堺市に提出した。市側からは竹山修身市長、芝村巧教育長らが応対した。

 要望書の中で呉支団長は、「市内各地の遺跡を回ってみても、案内板に百済、新羅、高句麗とのつながりを示す文字が見あたらない」と指摘。国際理解・異文化理解の立場から韓日両国語による説明看板の設置や案内パンフレットの見直しを求めた。具体的には、百済系渡来人の行基上人や朝鮮通信使の宿泊地であった寺跡を例に挙げた。

 これに対して、竹山市長は、「堺市には仁徳天皇陵があり、韓半島とのつながりが深い。韓国など海外からの観光客の誘致に対して市がなにをなすべきなのかを、民団と話しあっていきたい」と述べた。

 呉支団長は、このほか、民族教育推進の分野でも要望を行った。


韓国:浦項の日本人顕彰碑 セメントで固められたまま保存

毎日新聞 2010年8月13日 15時00分
http://mainichi.jp/select/world/asia/news/20100813k0000e030060000c.html

 【ソウル西脇真一】韓国南東部・浦項(ポハン)市は、植民地時代に市東部の九竜浦(クリョンポ)で港湾建設などに尽力した日本人をたたえて建立された顕彰碑について、1945年8月の解放後にセメントで塗り固められた「原状」で残すことを決めた。市は、九竜浦に残る日本式家屋などを「近代文化歴史の道」として保存・整備中。顕彰碑もセメントをはがす復元を計画したが、日韓併合100年の今年、「そうしたことが行われたのも歴史の一部」(関係者)として、そのまま残すことにした。

 九竜浦は19世紀末、日本漁船の寄港が始まり、香川や岡山などの漁民による移住漁村が形成された。1930~45年の最盛期には、約1000人の日本人が暮らした。

 浦項市によると、顕彰碑は九竜浦開拓の先駆者で、岡山県出身の十河(とがわ)弥三郎をたたえようと44年に建立が決定。港を望む裏山の神社のそばに建てられたが、解放後、地元住民らが両面をセメントで塗り固めた。また、植民地時代は神社の参道に並ぶ石柱に日本人の名前が彫られていたが、解放後、これを裏側に向けて名前を見えなくし、今は参道側に韓国人の名が刻まれている。

 九竜浦には「敵産家屋」と呼ばれた日本式家屋が43棟残る。これを観光資源として活用しようと、市は一帯の整備を推進。今年から18年まで、民間資金も含め計337億ウォン(約25億円)を投入する。

 日本人観光客も増えており、市は顕彰碑の復元を計画。九竜浦港はズワイガニなど韓国東海岸有数の漁業基地になっており、地元には当時、碑を塗り固める作業に加わったものの「(十河が)港湾整備などに力を尽くしたのは事実だ」として、今は復元に賛成する古老もいる。

 しかし、住宅も含め植民地時代の「負の遺産」の整備には、一部市民らの反発もあり「どうすべきか」と検討。結局、そのままの保存を決めた。浦項市の張正述(チャン・ジョンスル)国際協力チーム長は「碑をセメントで覆わねばならなかった当時の人の心情も理解してほしい」と言う。市では今後、碑のそばに過去の経緯を書いた解説板を設置する方針だ。

 浦項市は人口51万人。世界有数の製鉄会社、ポスコ(旧浦項総合製鉄)本社のある「鉄都」として知られる。朴承浩(パク・スンホ)市長の方針で全市職員約2000人を研修で福岡へ順次派遣するなど日本との関係も深い。



- 民団が、日本の観光案内板の表現に内政干渉 大阪府堺市 (via ittm) (via tessar) (via etecoo) (via mnak)

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