正直これを読んだとき、見事にパクったなと思ったものの問題にスル気はなかった。こられの著名人に一人ずつ取材する訳にもいかないだろうし、逸話のネタ元を辿るにも限界があるだろうからネット上の信ぴょう性の薄いカキコミをソース源として使ってしまう事もあると思っているからだ。
しかし、どうしてもこれから書く点が譲れないというか気に触り今回の記載に至る。
吉川氏以外の他ページを読むと、他所から引用した文章はそれと分かるようにカギ括弧で括られ
「あるスポーツ氏デスクはこう語る」「(音楽関係者談)(ボクシング関係者談)」「XXXX(対象者)著書より」とそれが引用だとわかるようになっていて情報元に敬意がみられるのだ。筆者の憶測には「〜らしい」と情報源のわからないものについては伝聞表記されているのだ。
結論から言えば完全にネット上の書き手はナメられていという事だ。
ネット上での名のなき書き手なら盗用したところでバレないだろうという安易さを感じるし、問題になったところでそれを知る人間の少なさを甘く見積もっているのである。引用表記するか盗用するかを相手の媒体規模によって変えてる点が気に入らない。これだけ引用表記をしているなら、それがない記述に関しては100人読めば全員が筆者の考えだと思うはず。
こんな現状じゃネット上での書き手は育たないぜよ。私を含めほとんどの人がネットでカキモノをしていても収入どころかお小遣いにもなってないはずである。時給換算したら50円にも届かない人が大多数であろう。趣味と割り切り身内内で読まれている内なら問題も少ないだろうが、不特定多数が月に何十万人も訪れるようになると、見えない銃で撃たれまくるのだ。そうなっていくと聖者の様なありがたみのある記事しか書けなくなっていくのだが、だけど聖者になんてなれないのだ!いろいろ言われながらも自分色をだしている方がいい。収入にもならない名誉もない、ただただリスクだけはつきまとうネット上において、すぐ皆辞めてしまうのはよ〜くわかる。なんせ書き手としての通過点にもなっていないのだからだ。
これが仕事になって飯を食えるようになればどれだけ素晴らしいだろうと満員電車に圧縮されながら考えたりするが、今の現状じゃプライベートを圧迫する見返りのほぼ無いリスクだけは高い投資である。
こんな現状じゃネット上での書き手は育たないぜよ!
これも大事だから2度言いました。
- 拝啓 ミリオン出版社様 - 80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ (via gkojax) (via katoyuu) (via mizushike) (via yteppei)