言わばベル研究所とは、偉大なる善意でした。そういう意味では、独占を実現したAT&Tの社長セオドア・ヴェイル氏も善意の人でした。AT&Tは、ベル研究所を研究機関として運営することを正式に要求されてはいませんでした。それでも、ヴェイル氏がそれをノブレス・オブリージュ(訳注:恵まれた身分だからこそ負う義務)だと考えたために、研究機関の務めを果たしていたのでした。
つまりAT&Tは、ベル研究所を営利目的だけで運営していたのではなく、より大きな善をも志向していたのです。これは営利を無視するということではありま
せん。ベル研究所は、電話線の絶縁材よりはるかに多くAT&Tの利益に貢献してきています。それでも、量子物理学の研究に投資することで目先の利益につながるかというと、難しいです。もっと言えば、今どき電話会社が量子物理学者を雇い、ルールも上司もなしで働かせるということ自体、考えにくいことです。
AT&Tは、政府の決めた料金で、政府公認の独占の利益を享受していました。でも、それは基礎科学研究に貢献することで相殺される、と一部では理解されていました。多くの国では、基礎科学研究とは政府が直接投資するものだからです。つまりアメリカにおいては、独占のために割高となった電話料金には、基礎研究のための税金が含まれている、とも言える状態でした。AT&Tは、アメリカの科学振興という目標によって政府とつながり、成長するにつれほとんど政府の一部門となって、国益のためのトップシークレットの仕事も行うようになりました。
ベル研究所の栄光の中で、公共の利益に貢献するという錦の御旗が汚されるような事態はほとんどありませんでした。でも、画期的な発見が数多くなされ る中で、ベル研究所が大学のような研究機関と異なる点がひとつありました。AT&Tの利益と知識の追究とが天秤にかけられたときには、有無をいわさず会社の利益が優先されたのです。そのため、公表された成功の陰には、公表されなかった発見があり、AT&Tという王宮の秘密になってしまったのです。
ここで、ヒックマン氏の磁気テープと留守番電話の話に戻りましょう。興味深いことに、1930年代のヒックマン氏の発明は、1990年代まで「発見されなかった」のです。ヒックマン氏がその発明をした後、AT&Tは研究所に対し磁気記録関連の研究を全て中止するよう命じ、ヒックマン氏の研究は60年以上も隠ぺいされていたのです。歴史家のマーク・クラーク氏がベル研究所保管文書からヒックマン氏の研究ノートを発見したことで、ようやく日の目を見たのです。
クラーク氏いわく、「ベル研究所の科学者やエンジニアたちの素晴らしい技術的成果が、ベル研究所とAT&Tの上層部によって隠されていました。」 AT&Tは「消費者向けの磁気記録装置の開発を拒み、その開発および他者による利用を積極的に妨げたのです」。結果的に磁気テープは、外国、主にドイツか らの輸入技術としてアメリカにやって来ることになりました。
でも、なぜ上層部はこのように重要で商業的にも価値がある発見を封印したのでしょうか? 彼らは何を恐れていたのでしょうか? その答えはほとんどシュールと言っていいものです。クラーク氏が発掘した企業メモによると、AT&Tは、留守番電話や磁気テープがあると、電話が使われなくなると考えていたのです。
より正確に言うと、ベル研究所の考えたことはこうでした。人々が会話を記録できることを知ると、「電話の利用が大幅に制限され」、AT&Tの事業にとって破壊的な結果を招くというのです。たとえばビジネスマンは、録音された会話が文書契約を取り消すために利用されることを恐れるかもしれません。また、わいせつな内容や倫理的に微妙な用件を電話で話すことも敬遠されると考えられました。まとめると、磁気記録の可能性は、「電話での会話の本質全体を変化させ」、「電話が使われるほとんどのケースにおいて、満足度・利便性を損ねる」ものと恐れられたのです。
こう振り返ると、どんなにエリートの集まる独占企業でも、極端な被害妄想にとらわれてしまうことがあることがわかります。確かに、磁気記録がアメリ
カにやって来て以来、ニクソン大統領からモニカ・ルインスキー女史にいたるまで、その秘密がテープによって暴露される事件はありました。それでも、電話は
いまだに使われています。
こういう事態が、たとえどんなに高尚な企業であっても、一企業の思惑に依存することのデメリットでしょう。会社の運命がかかっているかもしれないという思いが、たとえ妄想であっても、重大な結果を引き起こしてしまうのです。リスクを取るより、研究を停止してしまう方が安全なのです。
これが、イノベーションに対する中央集権的なアプローチの弱みです。イノベーションは、計画してシステマティッ クに進めることが可能であり、中央の情報組織みたいなものに管理されていればなお良し、という考え方です。イノベーションは、単に優秀な人を集めて協働さ せればできあがるという思考です。もしそうだったら、未来は科学的に計画され、実行できるものになってしまうでしょう。
たしかに、ベル研究所は偉大でした。でもAT&Tは、イノベーションの担い手としては、生来の欠陥を持っていました。すなわち、同社とそのグループ、ベル・システムにとってほんの少しでも脅威となる可能性のある技術を作り出すことはできなかったのです。イノベーション理論の言葉で言うと、ベル研究所のアウトプットは持続的イノベーションに限られていたのです。ビジネスモデルに不確実性の影を落とすような破壊的技術は、論外だったのです。
留守番電話はほんの一例で、AT&Tは他にも、同様の恐怖から何年も研究を止めたり、技術を市場に出し損ねたりしています。たとえば光ファイバーや携帯電話、DSL、FAX機、スピーカーフォン… 枚挙にいとまがありません。こうした技術は、新奇なものから革命的なものまでありますが、いずれも単にベルにとっては大胆すぎて不安だっただけなのです。 それぞれの技術がベル・システムにどう影響するか、きちんとした判断もありませんでした。AT&Tは、新しい技術を世に出したとしても、恐る恐るゆっくり と進めたのです。
AT&Tの対応は、クロノス効果(訳注:息子を恐れるあまり飲み込んでしまった巨人クロノスのように、大企業がより小規模な企業の活動を制限しよう
とすること)の根深さを考えると、神経質すぎるとは言えないのかもしれません。ベル・システムは、企業史でも最も強固な独占を、ただで享受できたわけでは
ありません。新しい技術にどんな機会が内包されていようと、そこにはつねに脅威があり、その技術が生まれた時から慎重さが必要とされていたのです。
ベル自身の由来が、その教訓を表しています。1876年、アレキサンダー・ベルがある機械の特許を取ったことで、当時国内最大企業だったウェスタン・ユニオン社が撤退に追い込まれたのです。
新しい技術にどんな魅力があれば、自衛本能に匹敵するでしょうか? おそらく、プラスチック・カップでは足りないでしょう。
- AT&Tが60年間封印していた未来 : ギズモード・ジャパン (via gtokio)