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- ダイノジ大谷の「不良芸人日記」: 再録 ・不良芸人日記 (via otsune)
私が小さいころ、貧しくて母は死ぬことばかりを考えていたそうだ。
山口の下関から大分の佐伯に引っ越して、駅前のみなと保育園に私と弟は通った。
働いている母が迎えに来るのはいつも最後で、
滑り台を何回も何回も繰り返し滑って、時間を潰していたから、
私の尻はいつもあかぎれでいっぱいで風呂に入るとしみた。
でも保育園では何かをしてないと
気の毒そうにこっちを眺める先生の視線がいたかった。
だから一心不乱に滑り台をやった。
日が暮れても母が迎えにくることはほとんどなくて、残業が終わって母が滑り込みで保育園にやってきたとき、本当に嬉しかったのを覚えている。
後になって聞いた話。
母は一度一家心中を計画した。
自宅に遺書を残し、さぁ行こうと覚悟を決めたとき、
私がいないことに気がついた。
そんとき私は
佐伯にある唐辛子畑に忍び込み
唐辛子を一心不乱に食っていたそうだ。
母は一瞬私が狂ったと思ったそうだ。
私は腹が減っていたのだ。狂ったように唐辛子を食った。
やがて辛さに気づいた私はひたすら泣いた。
それを見た弟が泣き、母が泣き、母は生に執着する私にほだされた形で
死ぬことを諦めたそうだ。
私は覚えてない。
”- ダイノジ大谷の「不良芸人日記」: 再録 ・不良芸人日記 (via otsune)