“そんでもって、こんな会社もあったりして、どうも、熊森協会、養心の会、掃除に学ぶ会(日本を美しくする会)の会員の一部は重なっているらしい。そして、「養心の会」と「日本熊森協会」、「養心の会」と「掃除に学ぶ会」は非常に近しい関係にあるといって良いと思います。
これらの団体の共通点は「善意」でしょうか。
熊森協会は「善意」から森の生態系を乱し、養心の会は「善意」でとんでもない講演者を呼び、掃除に学ぶ会は「善意」で行った素手のトイレ掃除で感染症による被害者を出し…。
亡くなった祖母がよく言ってました「悪気がないのが一番悪い」と。
あと「他人が痛いのは3年でも我慢できる」とも”
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これらの団体の共通点は「善意」でしょうか。
熊森協会は「善意」から森の生態系を乱し、養心の会は「善意」でとんでもない講演者を呼び、掃除に学ぶ会は「善意」で行った素手のトイレ掃除で感染症による被害者を出し…。
亡くなった祖母がよく言ってました「悪気がないのが一番悪い」と。
あと「他人が痛いのは3年でも我慢できる」とも”
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akira’s room: 熊森とひっつきもっつき (via takaakik)
「善意」については、昔こんな文章を書いたことがある。
善意とは、なんだと思いますか?
地獄への道として敷き詰められがちなもの。いや、ヨーロッパの諺にこういうものがあるんだ。The road to hell is paved with good intentions. 日本語に訳すと『地獄への道は善意で敷き詰められている』かな。個人個人はみんな「良いこと」だと思ってやっていることが、実はその組み合わせでとんでもない悲惨な結果をもたらしたりする。そういうことって割と多い。でも、だから善意なんて捨てちまえ、ってのも早計だろう。なぜ善意が合さると地獄への道になってしまうのか。私は、『悪人は頭を使うけど、善意の人はあまり物を考えない』という点に問題があると見てる。悪人は悪事がバレないようにとかズル賢く頭を使って先のことまで考える。ところが善意の人は、「私のやることは善いことなんだから良い結果を生んで当然だ」と無邪気に信じ込んで、あまり先のことを考えずにコトを進めてしまう傾向が強い。ヨーロッパだとこういう諺があるぐらいだからそういう人って多いんだけど、日本でも負けず劣らず多い。でもね、悪いのは善意そのものじゃない。悪いのは『頭を使わないこと』の方なんだ。善意に知性がプラスされれば鬼に金棒だ。どうすれば善意で天国への道を作ることができるのか。それをみんなで考えてみないか。
(via raurublock)