小学校三年生の次女の英語の授業を参観する。小学生に英語を教える意義について疑問を持っていたからだ。ちなみに次女は目黒の区立の小学校に通っている。英語の先生はちょっとヒッピー風の背の高い若い男性であった。子供たちに話しかける英語を聞いて、えっと思う。イギリス人かな? しかし、その後、その強烈な訛りから、すぐオーストラリア人もしくはニュージーランド人であると確信する。
英語を教えるのは国際語であるからだろう。したがって、通じればいいとは思う。しかし、英語が国際語であるのはアメリカの母国語であるからであり、オーストラリアもしくはニュージーランドの母国語であるからではない。オーストラリアそしてニュージーランドは足しても恐ろしく小国である。日本の5分の1程度である。そのような国の訛りの強い英語を教わるために、なぜ現地の人を呼ぶのか。それは日本語を教わろうとして山形弁を一生懸命に教わるようなものだ。それなら、いっそ日本人の先生に教わった方が遙かにいいと思う。…
と授業を観ながら憤怒していたのだが、この先生が「ワーラーメロン」(すいか)と言って児童に復唱させたら、子供たちはみな「ウォーターメロン」と「タ」がはっきり聞こえるように発音していた。なんてことはない。この先生のオーストラリア英語を誰も耳でフォローしていないのである。多くの子供たちは、おそらく英語を他でやっているのであろう。じゃなければ、「ワーラーメロン」とオーストラリア訛りで発音する筈である。まあ、それはそれで大いなる無駄を再確認したのであるが、なんか本当、英語教育では迷走しているなということを知った訳である。とはいえ、現地の英語の先生を雇うのであれば、アメリカ人(南部訛りであってもオーストラリア訛りよりはずっとましである)であるか、最低でもイギリス人であるべきだと強く思う。まだ人口が多いインド英語の方が将来、役立つかもしれない。何が悲しくて、日本の小学校で小国のオーストラリア訛りの英語を現地人から教わらなくてはならないのだろうか。これは、本当に茶番である。
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小学校の英語の授業を参観して憤怒する:アーバン・ダイアリー:So-netブログ
賛成。訛りの強いオーストラリアンやニュージーランダーを雇うぐらいなら、インディアンを雇うべき。真面目な問題として、インド英語が聞けないと北米やアジアで仕事ができないよ。
(via kashino)
まず日常的に英語に触れる機会が増えるのが大事。別に訛りなんて構わない。母国語以外がある程度しゃべれるぐらいになれば訛りなんて切り替えられる。いろんな英語があるというのは子供でもすぐにわかるよ。いろんな英語があるというのを知るのも変な本場意識を持たないでいいんじゃない?インド人に英語を習うのは別の意味でいいかも。引っ込み思案の日本人には少々間違ってても自信を持って堂々としゃべるのが大事というのが分かるし。
(via takaakik)