“
- 金九 - Wikipedia (via maido3) (via mnak)
金 九(きん・きゅう、キム・グ、1876年8月29日 - 1949年6月26日)は、朝鮮の抗日テロ指導者・右翼運動家。
1896年 鴟河浦義挙。 食事を注文した時に女性の給仕が自分より先に食膳を与えるのを見て憤慨し[2]、日帝・日本人への懲罰として閔妃殺害にはなんら関係がない日本人・土田譲亮を殺害した金九は後に土田を日本陸軍中尉と記しているが、被害者の土田は長崎県出身(貿易商・大久保機一が雇用)の商人であった。殺害後金品を奪って逃走、捕縛され、強盗殺人犯として死刑判決を受けた。後に特赦により減刑され、さらに後、脱獄する。
自叙伝では次のように記している。
倭奴の頭から足の先まであちこちを切りつけた。二月の寒い明けがたのことで、氷が張っていた地面に、血が泉の沸くように流れた。わたしは手でその血を掬って飲み、またその倭の血をわたしの顔に塗り付けた。(『白凡逸志』1947年、日本語版1973年、平凡社、79ページ)
日本の政治家の参拝 [編集]
1999年、自自公連立政権の小沢一郎与党自由党党首は金九の墓を訪れ祈りを奉げている[7]。
- 金九 - Wikipedia (via maido3) (via mnak)