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"略歴 大学受験に失敗し、妹の買って来た専門誌『シナリオ』を読んだことがきっかけで、予備校進学のための学資でシナリオ研究所へ。そこで書いた脚本が認められ、1969年、19歳の若さでテレビ時代劇『大江戸捜..."

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略歴

大学受験に失敗し、妹の買って来た専門誌『シナリオ』を読んだことがきっかけで、予備校進学のための学資でシナリオ研究所へ。そこで書いた脚本が認められ、1969年、19歳の若さでテレビ時代劇『大江戸捜査網』の脚本でデビュー。しかし、納得のいかない脚本の直しに嫌気が差し、「やりたくもない人情ものなどたくさん!」とシナリオを書くことを止めてしまう。「体質的にだめ。人情モノを書くと手に震えがくる」とは本人の弁(『アニメック』通巻第28巻特集「TVアニメ20周年と私」収載の談話より)。

結局、脚本家としての仕事はその1本のみで、その後は教育機器や冠婚葬祭関係のセールスマンをしながら、少女漫画の原作の手伝いやドラマのプロットなど名前の出ない仕事をしながらときを過ごす。セールスマンの仕事で貯めた金をヨーロッパを放浪して使い果たして帰国すると、知人である脚本家の宮内婦貴子からの紹介で、ダックス・インターナショナル制作のテレビアニメ『まんが世界昔ばなし』で、1976年11月に『かしこいコヨーテ』で再デビュー。以後、ダックスでは『巴里のイザベル』や、『まんがはじめて物語』から始まる一連のシリーズを長く手がけた。

1980年代前半にはタツノコプロ作品も手がけるが、首藤の作家性が発露され、出世作となったのは葦プロダクション(現:プロダクションリード)で原案からシリーズ構成まで手がけたオリジナル『魔法のプリンセス ミンキーモモ』、『戦国魔神ゴーショーグン』である。

両作の中心演出家湯山邦彦とは、後に1990年代に『ミンキーモモ』の続編や『ポケットモンスター』で仕事を共にする。また、葦プロダクションでは『アイドル天使ようこそようこ』など代表的な仕事を多くした。

その他に、原作付きながら首藤のカラーが強く出た作品には、1982年の『さすがの猿飛』、1994年の『超くせになりそう』などがある。

1984年、第一回日本アニメ大賞脚本賞を『まんがはじめて物語』、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』、『さすがの猿飛』で受賞。



- 首藤剛志 - フレッシュアイペディア (via tnoma)

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