87歳の南部博士は、自分が受賞したノーベル賞の記念講演を自らは辞退し、原論文の共著者で、最終選考まで残った可能性もあるヨナ=ラシニオ教授に、晴れの舞台を譲るという、ノーベル賞史上、前代未聞の「ウルトラC」をやってのけているのです。
今年のノーベル物理学賞が、スイスでのLHC(大型ハドロン加速器)始動の年に当たりながら、地元欧州のイタリア勢がすべて次点となって、イタリア物理学界が怒りに沸騰していたことはお伝えしました。
せっかく新しい実験が軌道に乗ろうという時、世界の素粒子物理学会の和を回復するためにどうしたらよいか。
南部博士はお考えになり、共著者で50年来の後輩でもあるヨナ=ラシニオ教授に電話かメールをしたに違いありません。そして
「自分は<病気>になるから、君が代わりに壇上に登ってよ」
と言ったのだと思います。こうしたことは、今回が初めてではなく、48年前の1960年にもあったのでした。「ミッドウエスト・コンフェレンス」という大きな国際物理学会議で、南部博士は自分の「自発的対称性の破れ」の講演を、突然、当時は若い研究助手だったヨナ=ラシニオ教授に委ねます。
いきなり言われたヨナ君はびっくりしますが、南部博士から「君のやりたいようにやればいいさ」と言われて、前日徹夜で準備し、名だたる大物理学者の並ぶ会場で新しい南部理論を説明しました…という逸話自体が、ノーベル賞講演で披露されました。「だから今回もそうなったのです」とヨナ教授はユーモアたっぷりに話され、会場は大いに沸きたちます。賞をもらったとか、もらわなかったとか、そんなことはどうでもいい。ここまでノーベル賞自体を相対化した受賞記念講演は、いまだかつてありません。
「若い人を代理に立てて大舞台を踏ませる」。実はこれ、人事への応援でもあるのです。大きな舞台で画期的な業績を報告すると、壇上から降りたあと、その報告者に質問が殺到します。そこから共同研究その他の道が開け、さらに客員研究員として、さらには常勤教授としての人事の声などもかかるようになる。一言でいえばメジャーになる良いチャンスなのです。南部博士は多くの後輩を育てたことで有名ですが、それはこのような「今度の会議さぁ、ちょっと代わってよ」という、実にさりげない方法で、若い研究者を大きな舞台にデビューさせ、そこでの質疑なども通じて、物理学者としても大きく成長させてきた、稀有の深慮によるものなのです。
”- ノーベル講演を共著者に譲った南部博士:NBonline(日経ビジネス オンライン) (via hanemimi) (via suchi) (via ssbt)
2009-01-07 (via gkojay) (via takaakik) (via mitaimon) (via h-yamaguchi) (via etecoo) (via mnak)