「こういう経験をしました。こういう感じで仕事をして、こんなことを観察しました」みたいな観察記録を持っておくと、どんな分野であれ、けっこう大きな武器になる気がする。
(略)
「こういうことができます」という人に、「じゃあここでやって見せて下さい」と尋ねたときに、出来る何かを再現するのに必要な道具、人数、人員の質、必要な予算や道具を、その場でスラスラ言えない人というのは、要するに「できない」のだと思う。
大昔、大学祭の実行委員をやっていて、「お祭りの経験がある人」を見分ける術として教わったのも、こんなことだった。
「イベントを企画したことがあります」という人に、「じゃあここで再現して見せて下さい」なんて質問して、最初に「何人ぐらいの規模でお客さんを呼びますか?」と問い返せる人は、経験者なのだと。
「何人」が決まると、必要な椅子やテントの数、押さえるべき会場の大きさや、それに必要な予算が決まって、イベントまでの進捗が、一気に決まる。
ここで「どんな祭をやりますか?」と聞くのは、お祭りが好きな素人で、「イベントを運営すること」それ自体が根っから好きな人というのは、なんというか、イベントの「中身」それ自体にはあんまり興味がなかったりする。
人数と日程が決まって、「次に何が必要ですか?」なんて質問をすると、「模造紙50枚とユニポスカ3ダース、マッキー20本、布ガムテープ10巻」というのが大学祭の定番で、これがないと、運営室を立ち上げて、会議を開いたり、おおざっぱなメモを取ったりといった活動が、そもそも立ち上げられない。
「イベントに参加したことがある」人からは見えない、一方で、本当の最初からイベントにかかわって、しかもイベントを立ち上げることそれ自体に興味がないと絶対に見落とすような、こういう部分の経験を持っている人は、今度は別のイベントに観客として立ち寄っても、本部の散らかり具合だとか、会場の回しかたを見て、スタッフの工夫や、頑張りどころ、「ここは足りないな」なんて思った部分があったとして、それが実際のイベントでどうなのか、答え合わせができるようになる。
根本にある「どう」を知った人は、だから今度は、そこにいるだけで、勝手に経験値が増えていく。
”- 経験は「どう」に集まる - レジデント初期研修用資料 (via peperon999)