“あくまで「もし~だとすれば」という仮定の話になっているから、それがまったく的外れな批判であったとしても、批判者は恥をかかずにすむ。相手を直接批判していないから、ぎりぎりのところで角も立たない。しかし、批判されたという事実と、批判された対象に対する、「なんとなく問題がありそうな印象」は残る。はっきりとした実体がないから、こうして植え付けられた印象を打ち消すのはかえって難しい。初めからこれを狙っているわけで、巧みなやり方といえばその通りだが、やはり姑息という印象を免れない。”
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「影踏み」論法と名づけてみる - H-Yamaguchi.net - BLOGOS(ブロゴス) - livedoor ニュース
確かに姑息。しかし考えてみるに、「なんとなく問題がありそうな印象を相手に与えること」が議論の目的・効用として捉えられている状態がもし仮にあるのだとすれば、それは問題である。
(via raurublock)