「ボク文系だから」は止めてくれ
止めてください。なんか、聞いていて悲しくなります。
私は人に会うとき、かなり高い確率でこの「文系だから」という言葉に出合います。
社交辞令なんでしょうか。
それとも、遠回しに文系はバカだとでも言いたいのでしょうか。
文系で賢い人はたくさんいるし、理系のバカもたくさんいます。
かく言う私は、理系に分類されるのだと思います。
でも、「ボク文系だから・・・」を聞かされても、ちっとも嬉しくありません。
だいたいこの「理系、文系」という区分が、人間の特性に合っているとも思いません。
私が悲しいと思うのは、何も「文系だから」という言葉を発した当人の為を思っているわけではありません。
自分のことをバカだと思って卑下するならそれも良し、謙遜しても一向に構わない。
(もちろん当人の為を思うなら、自分のことをあまりバカにしない方が良いと思う。)
問題は、この「文系発言」によって、理系の学問が必要以上に高尚で小難しいものにされてしまうことです。
私の言より、ここはひとつ引用を。
しかし、数学はやさしいということを、余り言うと、
「それは、おたくさまは、頭がおよろしいもの、けっこうでございますわね、オホホ」
とやられてしまう。・・・
もし「頭がよい」の定義を「数学ができること」とするなら「数学のできる人は頭がよい」というのは、定義を述べただけで、何を言ったことにもならない。
しかし、少し視点を変えて、「頭がよい」の定義を「自分の置かれた立場に、すばやく的確に反応する」ことだとしたら、世の中に、数学者ほど、頭の悪い集団も少ないかもしれない。・・・
頭がよいとか悪いとか、ワカッタから賢いとか、なかなか納得できないからアホウだとか、その身分差別のイヤラシイ「感情」が、一番人間を毒し、数学をむつかしい(いわゆる、むつかしい)ものにしてしまっている、ということが言いたかったのだが---。
そうなんですよ、みんながむずかしい、むずかしいと事ある度に唱えるので、すっかり「数学=難解」が定着してしまった。
そりゃ数学の中でも難しい部分はとことん難しいですが、数学に限らずどんな分野だって、難しい部分は、やっぱりとことん難しいでしょう。
さらに困ったことに、世間ではなぜか数学が頭の良し悪しを測るモノサシになっていて、
数学の話をする度に、頭がよいとか悪いとかいったイヤラシイ「感情」が邪魔をしにかかる。
すると、肝心の数学の内容を純粋に楽しむことができなくなってしまうのです。
よく言われるように、元はといえば数学をモノサシに採用した、学校だの社会だのがよろしくない。
であれば、その風潮に、さらに味方することは無いでしょう。
難しい方程式が解けるなんて能力は、言ってしまえば、難しいコンピューター・ゲームが解ける能力と大差ありません。
格ゲーで無敵を誇るとか、弾よけが神業の域に達しているとか、「ぷよぷよ」が鬼のように解けるとか・・・
ゲームが異常なまでに強いというのは、ある種特別な能力だし、きっと非凡な努力を傾けていることでしょう。
だからといって、ゲームの名人を「頭の良い人」だと言いますか?
むしろ、世間的には冷たい視線で見られているのでは。
アクロバティックな方程式が解ける人なんて、心情的にはゲームの名人と大差ありません。
下手に「頭がよい」だの「役に立つ」だの言われないゲームの方が、ある意味純粋で潔い。
本当は数学だって、ゲームのように純粋な方が、健全に発展するのではないかと思います。
上の著者だって言っているではないですか、数学者なんて、どちらかといえば「頭の悪い集団」なんですよ。
・・・数学者の皆さん、ごめんなさい。
でも「数学をモノサシにするな」ということについては、きっと賛同してくれると思う。
私自身は数学者ではないし、定義のよくわからない「頭がよい」にあてはまるかどうかも、わかりません。
(未定義だから、結論は出ない)
ただ、数学が好きだということについては間違いないので、こうして「モノサシにするな」と訴えているわけ。
話がいつの間にか数学限定になったけれど、数学が代表例というだけで、同じことが他の、いわゆる理系学問についても起こっています。
なので、これを読んで自分が文系だと思っている人は、今日から「ボク文系だから」という発言を止めましょう。
というより、本当は「理系、文系」という区分を廃止するのが、一番良いのでしょうけどね。
”- 「ボク文系だから」は止めてくれ - 悪魔の妄想 (via petapeta)