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もう一つ、違和感をもったことがあります。それは原爆投下の理由づけ、論理です。
わかりやすく「落とす側の論理」と「落とされる側の論理」としましょう。
広島で強く感じたのは、どういうわけか「落とす側の論理」が支配的だったということです。つまり「日本が悪いから落とされた」という論理です。「日本が悪い」というのは、軍国主義であり、侵略戦争であり、広島が軍都であったからいけないという話です。
「落とされた側の論理」というのは、民間人に被害が及ぶのは国際協定違反であり、大量殺戮であるというもの。つまり戦争であってもやってはいけない行為です。
日本は唯一の「被爆国」であり、国際的にも今後核兵器抑制の立場をとる上でも断固持ち続けなければいけないのは「落とされた側の論理」です。
ところが平和主義という名のもとになぜか「落とす側の論理」がまかり通っているのです。もしこの論理が支配的であれば、まったくもって核兵器の所有・使用が正当化されてしまうのにもかかわらず。
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ヒロシマに再び原爆が落ちる日 ([の] のまのしわざ) (via tnoma) (via itokonnyaku) (via breeze2)
落とした側であるアメリカを悪く言っても広島にはビタ一文お金を出してくれません。でも落とされた側の日本を悪く言うとお金をくれる!ふしぎ!原爆利権で飯食うのもいい加減にしろ。
(via e5150)
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