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"13日の名護市選挙を報じる沖縄タイムスを一部抜粋し再度引用する。 移設ノーに追い風 名護市議選 「普天間に終止符打つ」比嘉祐さん 容認から反対 2010年9月13日 —- (中略)..."

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13日の名護市選挙を報じる沖縄タイムスを一部抜粋し再度引用する。

移設ノーに追い風 名護市議選
「普天間に終止符打つ」比嘉祐さん 容認から反対
2010年9月13日

—- (中略) —-

新人の川野純治さん(55)(★引用者注)は、27番目最後の議席に滑り込んだ。熊本生まれ鹿児島出身。地縁・血縁はなかったが、一貫して基地建設反対を訴えた。「名護市は生まれ変わる。稲嶺市政を支えて基地問題を解決したい」と意欲を示した。

—- (中略) —-

★注:今上天皇が皇太子時代にひめゆりの塔を訪れた際、火炎瓶を投げつけ有罪判決を受けた人物。 沖縄に住みついて県民を洗脳する社民党系活動家。

沖縄タイムスはサラッと流しているが、記事で筆者が赤字で強調した川野純治氏はわずか19票の差で滑り込み当選した筋金入りの活動家である。

沖縄タイムスによる略歴を見るとこうなっている。

<川野純治 55歳 会社員 名護市中山1029の13  北九州市立大学大学中退>

だがこの人物の略歴で削除されている大きな事実は、川野氏が「ひめゆりの塔事件」の実行犯の一人であるということである。

ひめゆりの塔事件は、75年7月17日、沖縄国際海洋博覧会開会式に出席するため沖縄を訪問した皇太子(今上天皇)ご夫妻がひめゆりの塔を参拝した際、目の前の壕の中に潜んでいた訪沖反対の過激派2人に火炎瓶を投げつけられたがご夫妻は無事だった。

当時20歳の過激派学生だった川野氏はその実行犯の一人だったのだ。

「本土サヨク活動家」を自称するきゃすっちさんのブログによると、沖縄が本土復帰する1972年前後から、逃げ場を失った本土サヨク活動家が沖縄に流入、移住し沖縄住民を扇動し始めたという。

川野氏もその後沖縄に住み着いて「一坪地主」の地位を手に入れ、「沖縄」を売り物にした活動家として、全国各地で講演活動などをしていたが今回、名護市会議員の地位を手に入れたことになる。

誰でも20歳前後の「若気の至り」のひとつや二つは思い当たるものだが、この川野という人物は50歳半ばにしても、今上陛下に火炎瓶を投げたことを自慢にし左翼集会で天皇制打倒を叫んでいるようだ。

このような移住者こそ沖縄にとってもっとも」迷惑な人物なのだが、それが議員に当選とは、情けなくなってしまう。

—- (中略) —-

名護市といえば辺野古移設の鍵を握る自治体だと全国に喧伝されているが、夏越の大半の人口が集中する市街地は、西海岸に(東シナ海) 面し、問題の辺野古地区は山ひとつ越えた東海岸(太平洋)に)面している。

筆者のように昔から名護界隈を知るものにとって、「きれいな海を埋めるな」とか「ジュゴンを守れ」なんて言葉は復帰後、川野氏のようなサヨクか扇動した持ち込んだ左翼フレーズとしか感じない。

何しろつい最近まで名護湾を血に染めてるイルカ漁は名護の風物詩とさえ言われ、現在でも名護の居酒屋ではイルカ料理を売りモノにしているくらいだ。

それが当然とって付けたように見たこともない「ジュゴンを守れ」といわれても違和感を感じるものが多いのだが、川野氏のような大声を出す」活動家に引きづられるのも沖縄人の弱さなのだろう。

ちなみに名護市に住む娘夫妻は政治には全く関心が無く、今回、辺野古騒動が起きるまで辺野古地区が名護市の一部だったは知らなかったという。

そりゃそうだろう。

山を一つ越して行く太平洋に面した辺野古は、生活感覚としては全く別世界にしか感じないというのだから。

その辺野古地区の民意は「移設容認」である。



- 陛下に火炎瓶を投げた男が名護市会議員に - 狼魔人日記: 2010-09-15 07:17:58 (via nandato)

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