明治時代には「ゲーム脳の恐怖」ならぬ「野球脳の恐怖」が存在した!
なんか凄いでしょう?
ちょっとみてみましょう。えー、このサイトによると『戦後野球マンガ史:手塚治虫のいない風景』からの引用とあります。私は未読なので、孫引きですがご容赦ください。
「明治四三、四年頃には、「東京朝日新聞」などを中心に野球撲滅論が起こっている。「教育と野球」(野村浩一、私家版)から引くと、「野球はアメリカから来た賎戯で士君の弄ぶべきものではない。我が国には胆を練るには剣道があり柔道があり、また国技として相撲がある。どうして外来の遊戯を学ぶ必要があろうか」というのが大勢だった。五千円札に肖像が描かれている当時の一高校長新渡戸稲造は、「野球という遊戯は悪く云えば巾着切(すり)の遊戯、相手をペテンにかけよう、計画に陥れよう、塁を盗もうなど、眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊戯である」と語っている。
中略
野球選手が学科の出来ぬのは、野球に熱中の余り勉強を怠るのかと思ったら、そうでなく、手が強い球を受ける為その震動が脳に伝わって、柔らかい学生の脳を刺激し、脳の作用を遅鈍ならしめる異常を呈せる」
・・・すみません、面白すぎて涙でました。
「手が強い球を受ける為
その震動が脳に伝わって、
柔らかい学生の脳を刺激し、
脳の作用を遅鈍ならしめる異常を呈せる」
凄すぎる。。。。。。。。。。。言葉ありません。
と、まあこういう小ネタ紹介でした。ただ、「むずる語がいとわろし」も「恋愛小説脳」も「野球脳」も「ゲーム脳」も、いま、このように遠くから客観的に評価すれば、笑える話ですけど、もしかしたら自分たちも、同じことをしてしまう危険は常にあるということを自覚する必要はあるかもしれません。
野球脳までいくと遥か天空まで飛びすぎですが、注意深く身の周りを観察すれば、たぶん学校のクラブ活動から日常の職場まで、普通に存在しているはずです。
- 懐疑論者の雑談 (via jun69) (via ssbt, petapeta)
2008-10-07 (via gkojay) (via mnak)